男性アイドルグループ、OWVの佐野文哉(さの ふみや)さん。
2024年4月23日放送のバラエティー番組「踊る!さんま御殿」に出演したり、数々のバラエティにも出演中です。
オーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN」では、ダンスの上手さとストイックさで愛されました。
そんな佐野文哉さんの実家が田舎すぎると話題になっています。
また、実家のエピソードにも驚きました!
そこで、今回は
- 佐野文哉の実家は山梨県のどこ?
- 佐野文哉の実家が田舎すぎてヤバイ!驚きのエピソードを紹介!
について調べてみました!
佐野文哉の実家は山梨県のどこ?
佐野文哉さんは、公式での出身地は県までを公表していました。
出身地は山梨県で、南巨摩郡南部町(みなみこまぐんなんぶちょう)に住んでいたと思われます。
中学校は山梨県立南部中学校に、通われていたと判明しています。
その為、山梨県南巨摩郡南部町が出身地でしょう。
南部町を調べると、自然豊かな場所だと分かりました。
観光スポットの様な物はないですが「天然の美術館」と言う程、綺麗な景色が見られます。
南部町のホームページでも、ハイキングやレジャー等の自然の豊かさを押していました。
また、平安時代に開創された寺院「最恩寺(さいおんじ)」もあり、歴史にも触れる事が出来る場所です。
最恩寺は国の重要文化財に指定されている、歴史的建造物です。
古くから存在し、歴史がある町なんですね。
山梨県の南巨摩郡南部町は、自然豊かな場所でだったと分かりました。
歴史的建造物もある凄い所だとも分かりましたね。
佐野文哉の実家が田舎すぎてヤバイ!驚きのエピソードを紹介!
佐野文哉さんの実家が、田舎すぎると話題になっていました。
「人よりも猿が多い」場所で育ったと、不動産サイトSUUMO TOWNで話しています。
そして、2024年4月23日に放送された「さんま御殿」のトーク内で、佐野文哉さんの家がお寺だったということが判明しました。
そこでは、時折「供養をお願いします」と書かれた心霊写真が送られてくるため、幼い頃から心霊と関わっていたため、オバケについても「全然大丈夫なタイプです」と断言しました。
更に調べてみると、色んな驚きのエピソードがありました。
幼少期から順に紹介していきます!
幼少期の田舎エピソード!
佐野文哉さんは、自然豊かな山梨県南巨摩郡南部町で育ちました。
自身で過疎地域だと言う程、自然に恵まれた土地である事が判明しています。
幼少期は自然の豊かさを使った遊びがほとんどだったようです。
実家は山奥の方にあり、虫取り等をしていたそう。
捨てられていたブルーシートを使い、秘密基地を作っていたとも不動産サイトSUUMO TOWNでは話していました。
幼少期はワンパクだったようで、橋から川へダイブもしていたそうです。
自然を使った遊びが多かった分、自動車への興味もあったそう。
幼少期の頃、家族で地元の有名なほうとう屋さんに、度々行っていたと話しています。
ほうとうを食べる事も楽しみでしたが、店長の車に乗る事が1番楽しみだったそう。
家族で行っていたのは、ほうとう屋敷みさか路というお店でした。
残念ながらほうとう屋敷みさか路は、2016年9月で閉店しています。
ほうとう屋敷みさか路には、真っ赤な高級車が置いてあったようです。
地元では有名で、車だけでなく店の外から中まで、楽しめる作りでした。
その一つが真っ赤な高級車で、食事に行くと快く乗車させてくれたそうです。
そんな佐野文哉さんが、通っていた保育園、小学校は全て廃校となっていました。
小学校は自身の学年でも、1クラスだけしかなかったようです。
人数も少なく、9人だけだったそう。
1個下の学年も、同じく1クラスで、人数は更に少なくなり3人だけでした。
猿の方が多い山奥で育ち、自然を使った遊びをしていたと分かりましたね。
また、漫画・アニメで見るような土地で暮らしていたとも分かりました。
田舎過ぎて、交通が不便だった?
佐野文哉さんの地元は、交通面がとても不便だったと分かりました。
出掛ける際も、目的地まで1時間は軽く掛かっていたようです。
電車は1時間に1本だけしかなかったとも分かりました。
乗り遅れると、また1時間後になるため駅まで全力疾走していたんだとか。
全力疾走して遊びに行くのは、決まって甲府昭和のイオンモールだったそう。
遊びに行くのも、買い物も全部、甲府昭和のイオンモールだったようです。
駅までの全力疾走で「足の速さは、ここで鍛えられた」と不動産サイトSUUMO TOWNで話していました。
また、家族で市街地や隣県に行く際、車で出掛ける事がよくあったそう。
車で行っても1~2時間は掛かっていたと話していました。
隣県のリズム教室に通う際、両親は1~2時間掛けて送迎してくれています。
小学校高学年頃から、ダンスに興味が沸き、両親に相談していました。
ただ、地元にはダンス教室はなく、隣県でもリズム教室だけだったようです。
それでも両親は通わせてくれ、応援もしてくれていました。
送迎で1~2時間は、かなり大変だった事でしょう。
交通面がとても不便で、どこに行くにも最低1時間は掛かっていたと分かりましたね。
中学時代は田舎過ぎて色んな苦労をしていた!
佐野文哉さんは中学時代、色んな苦い思い出があるようです。
その中の一つが部活動で、渋々野球部に在籍していました。
漫画・アニメ「スラムダンク」が大好きで、憧れからバスケ部に入ると決めていたそう。
ですが、入学した中学校も在校生が少なく、部活動は2つしかありませんでした。
野球部と吹奏楽部の2択で、バスケ部には入れなかったそう。
仕方なく野球部に入り、3年間頑張ったようです。
部活動だけでなく、田舎ならではの偏見の目も中学時代に味わっていました。
佐野文哉さんは、小学校高学年からダンスを始めています。
中学に入ってからもYouTubeを見ながら、ダンスの練習をしていたんだとか。
そして、中学校の文化祭ではダンスを披露したそうです。
披露した物の無反応で「目立ちたがり屋だと思われていた」と話していました。
学校の先輩や、他のクラスの方からの目線は痛いものだったそう。
ダンスも地道な努力と研究を、積み重ねていたと分かりました。
また、苦い思い出があるにも関わらず、前向きでストイックなんだとも分かりましたね。
OWVデビュー後は地元全員が応援!
OWVとしてデビューしてからは、地元の方から凄く応援されているそうです。
バスや電車、学校等、色んな所で広告等が見られるそう。
学校では、お昼の時間にOWVの曲を毎日かけてくれていたんだとか。
嬉しい反面で興味がない方へ「申し訳ない気持ちもある」と話しています。
また、Xで地元に帰郷するとポストすると、何故か町全員が知っているそうです。
そして、全員が出迎えてくれるんだとか。
人が少ない田舎ならではと感じますね。
2022年には地元の山梨県で、ライブフェスに出演しました。
佐野文哉さんが暮らしていた時は、ライブを行っている事が少なかったそうです。
TGC FES YAMANASHI 2022に出演し、地元山梨県への貢献でき、喜んでいました。
同時にもっとライブ等が出来る環境にしていきたいと語っています。
過疎地域でも諦めずに、努力すれば報われるという事も教えてくれたでしょう。
地元の方から出迎えがあるほどの、人気と知名度があると分かりましたね。
まとめ
今回は佐野文哉の実家が田舎すぎてヤバイ!驚きのエピソードを紹介!について調べてみました!
- 佐野文哉さんは、自然豊かな山梨県南巨摩郡南部町で育った
- 幼少期はワンパク少年で、自然を使った遊びをしていた
- 交通面が不便で、目的地に行くまで1時間はかかる事があった
- 中学時代は田舎が故にダンスを披露しても、悪目立ちの様な目を向けられていた
- OWVデビュー後は、地元の全員が応援してくれた
以上の事が分かりました!
2024年4月23日放送のバラエティー番組「踊る!さんま御殿」楽しみですね!
テレビの前で応援したいと思います!