ドラマ「新空港占拠」に出演している、ラランドのサーヤさん。
2024年2月3日放送の第4話では、謎の武装集団「獣」のメンバーが次々と面を外し、その正体が話題となっております。
サーヤさんが演じているのは、「牛」の掛川瑠美役。
今までその正体が謎だったこともあり、SNSでも大いに盛り上がっていました。
「新空港占拠」だけでなく、「かしましめし」や「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」などのドラマにも出演しており、俳優としても活躍しているサーヤさん。
そんなサーヤさんの本名や年齢、経歴が気になりますよね。
そこで今回は、
ラランドサーヤの年齢や本名は?
ラランドサーヤの経歴wikiプロフまとめ!
について、調べてみました。
ラランドサーヤの年齢や本名は?
サーヤさんは、1995年12月13日生まれ。
2024年2月現在、28歳です。
本名は、門倉早彩(かどくら さあや)と公表されています。
サーヤさんは子役として芸能活動をしていた時期があり、その頃は本名の門倉早彩で出演していたそうですよ。
芸名のサーヤは、本名の名前からとったのですね。
ラランドサーヤの経歴wikiプロフまとめ!
サーヤ(ラランド)
・本名:門倉早彩
・生年月日:1995年12月13日
・出身:東京都八王子市
・身長:158cm
・血液型:O型
お笑いコンビ、ラランドとして活動しているサーヤさんですが、2021年にラランドの個人事務所「レモンジャム」を設立し、代表取締役も務めています。
上智大学を卒業後、広告代理店に勤めながら会社員とお笑い芸人との兼業を続け、M−1グランプリで準決勝進出を成し遂げたサーヤさん。
子役として芸能活動をしていた経験もあり、ドラマや雑誌にも出たことがあるそうです。
サーヤさんはどんな経歴の持ち主なのか、まとめてみました。
ラランドサーヤの子役時代
サーヤさんは、2歳の時に芸能界でデビュー。
オーディションに応募し、テレビや雑誌にも出演していました。
なんと、ポンキッキーズで井ノ原快彦さんと共演したことがあるそうです。
20年ほど前、当時子役だった私はポンキッキーズで井ノ原さんと共演させていただいた事がありました
— サーヤ (@sa___yaah) March 12, 2022
アド街の収録後に井ノ原さんに当時の映像を見せると、大変驚いて感動してくださり「これからもっと応援する!笑」と激励いただきました!
こんな形で再会できるとは…
光栄です涙#アド街ック天国 pic.twitter.com/jvkdC4tc9g
これには、井ノ原快彦さんもびっくりですよね。
また、雑誌でモデルもしていました。
わたし、昔「ブー」だったんだよね pic.twitter.com/rOjvuXgO9V
— サーヤ (@sa___yaah) April 28, 2019
モンスターズ・インクのぬいぐるみを抱きしめている姿が、とても可愛いですね。
他にもドラマやCMにも出演するなど、幅広く活躍していました。
また、この頃にダウンタウンのごっつええ感じ」を観たことがきっかけで、お笑いが好きになったのだそうです。
その頃からダウンタウンさんの「ごっつええ感じ」のDVDを見るようになって、お笑いに興味を持ち始めたんですよね。母親がすごい好きだったので「ドラマ見てないでこっち見なさいよ」って。あとはお笑いばっかり見てた従兄弟のお兄ちゃんもにも影響を受けましたね。
出典:https://girl.houyhnhnm.jp/culture/her_danceterrier_16
お母さんもお笑いが好きだったのですね。
子役として順風満帆だったサーヤさんですが、小学校を卒業する頃、子役を辞めることに。
理由は、親が教育方針に路線変更したためと、インタビューで語っていました。
小学校を卒業するころ、けっこう忙しくなっていて、そしたら親が『行事とか休ませるのは可哀想。義務教育は、ちゃんとやらせたほうがいい』みたいな教育方針に路線変更して、やめさせられちゃったんです。
出典:https://smart-flash.jp/entame/116858/
学業に専念するために芸能界を引退しましたが、本人としては続けたい思いもあったのかもしれませんね。
ラランドサーヤの中学時代
サーヤさんの出身中学校は、東京純心女子中学校です。
この頃のサーヤさんは、学校が終わった後も図書館で勉強しており、成績は優秀だったそうです。
また、お笑いコンビ「マヂカルラブリー」のファンだったそうで、その頃の写真をSNSに投稿しています。
14年前マヂカルラブリーさんを追いかけていた頃のわたし pic.twitter.com/Z02U9hFtsa
— サーヤ (@sa___yaah) October 17, 2023
お笑いが大好きだったサーヤさんは、文化祭で漫才を披露しました。
中学2年のときに文化祭で初めて友達と漫才をやって。笑い飯さんリスペクトでいきなりダブルボケをやってたんですよ。シスターがいる女子校で相方も女の子だったんですが、2人とも「ボケ倒す」みたいなのをやってました。
出典:https://girl.houyhnhnm.jp/culture/her_danceterrier_16
これがきっかけで、本格的にお笑いをやりたいと思うようになったそうです。
ラランドサーヤの高校時代
サーヤさんの出身高校は、東京純心女子高等学校です。
中高一貫の女子校で、内部進学をしています。
サーヤさんは、成績優秀で勉強熱心だったとインタビューで語っていました。
小学校〜高校まで死ぬほど勉強して偉い偉いと言われるガキをやっていました。図書館で勉強して、寄り道せずに帰って、課題やって、オール5とって、何をモチベーションにしてたか今では全く思い出せない当時の私です。
出典:https://note.com/sa___yaah/n/ne58815d509e6
当時、サーヤさんは友達と「アポロン」というお笑いコンビを組んでいたそうです。
お笑いの大会にもでたかったそうですが、学校の規則が厳しいことから、お笑いの大会には出場できませんでした。
お笑いの大会とか出たかったんですけど、厳しい学校だったので、出たくても出られない6年間。それが、大学に入って爆発したんです。
出典:https://smart-flash.jp/entame/116858/
お笑いをやりたいという強い思いが、伝わってきますね。
高校卒業後はNSC(吉本総合芸能学院)に入ろうとしていたそうですが、大学に進学しました。
高校卒業後はすぐにでもNSCに入ろうと意気込んでいました。でも、よくよく調べてみると芸人になる方法は、それ以外にもあることを知りまして…。そんなこと当たり前なんですけどね(笑)。それで家族とも話し合って、大学はちゃんと卒業する約束をして、NSCではなく、上智大学に進学しました。
出典:https://advanced.massmedian.co.jp/article/detail/id=3932
その後、進学した大学で相方のニシダさんに出会うのです。
ラランドサーヤの大学時代
サーヤさんは、上智大学外国学部イスパニア語(スペイン語)学科に進学。
上智大学といえば名門の私立大学ですから、サーヤさんがいかに成績優秀だったことが分かりますね。
サーヤさんは入学する前に上智大学の文化祭に参加し、お笑いサークルSCSのライブを観て、入学できたら入りたいと思っていたのだそうです。
その後、大学に入学してからアカペラサークルにも興味を持ち、新入生歓迎会に参加。
そこでニシダさんと出会ったのです。
2人とも参加はしたものの、アカペラサークルのキラキラした雰囲気に馴染めず、浮いていたそうです。
そこでサーヤさんはニシダさんに声をかけ、SCSに入会しました。
出身地も違いますし大学に入って初めて会ったんですけど、学科が同じで顔見知りにはなってたんです。入学して2週間ほど経った頃、何のサークルに入ろうかと考えて「キラキラしたところも見てみたいな」とアカペラサークルの新歓に行ったんです。そこにニシダもいたんですけど、何と言うんでしょうか、そこで二人とも見事に浮いてたんです(笑)。ただ、その新歓での時間があったからこそ、互いの形も最初からしっかりと確認できたんだと思います。
出典:https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/dec975c7a8cc0d5ac12903c50a1409369350f9eb
SCSに入会後、サーヤさんは中学の時からの流れで女性と組みたいと思っていたそうですが、ニシダさんからの猛烈な誘いもあり、「ラランド」としてコンビを組むことになりました。
ちなみにコンビ名は、サーヤさんが星関連の名前にしたいと思ったことから名付けられたそうです。
コンビ名は私が中学・高校の時にも友だちとお笑いコンビを組んだりもしてまして、その時のコンビ名が「アポロン」という星にちなんだ名前だったんです。なので、今回も星関連の名前がないかなと。そこから考えて、ラランドという天文学者が見つけた星で、そのままラランドという名前がついた星があるということで、そこからコンビ名をつけたんです。
出典:https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/dec975c7a8cc0d5ac12903c50a1409369350f9eb
その後はめきめきと頭角を表すようになり、2018年にはルミネtheよしもとで行われた、大学お笑いサークルの頂点を決める「NOROSHI2018」で優勝を決めました。
その後、サーヤさんは広告代理店に就職。
会社員として働きながら、お笑い芸人としても活動することになります。
ラランドサーヤは会社員と芸人を兼業していた?
2018年に上智大学を卒業したサーヤさんは、港区の広告代理店に就職。
就職を選んだ理由は、家にお金を入れるためだったそうです。
「中学高校大学とずっと私立に通わせてもらってて、親がぜいたくなことしているのを見たことがない。なので、自分の生活費だけ稼ぎながら芸人をやるという考えが、そもそもなかったんです」
出典:https://hochi.news/articles/20200726-OHT1T50304.html?page=1
また、大学を卒業する時にお笑いの事務所から声をかけてもらったそうなのですが、ニシダさんが留年していたため2人で養成所に入るのは難しいと思ったことも、就職を決めた理由なのだとか。
そのためサーヤさんは、広告代理店の会社員をしながらフリーでお笑い芸人の兼業もするという、二足の草鞋を履いた生活を続けていました。
平日の仕事が終わった深夜や週末に、ニシダさんとネタ作りをしていたそうです。
会社員として仕事をしながら芸人の活動を続けるのは、並大抵なことではありませんよね。
そんな中、2019年に「Mー1グランプリ」でアマチュアながら敗者復活戦で準決勝に進出し、ラランドは「ベストアマチュア賞」を受賞。
その後、「おもしろ荘」へ出演すると世間から注目されるようになり、オファーも増えてきたそうです。
努力を重ねて活躍の場が広がってきたものの、芸人でありながら会社員として働いているサーヤさんへの批判も少なくありませんでした。
一部の人たちからは『芸人やりながら会社員もやるってどうなの?』と批判的な言葉も。悔しかったけど、どちらも中途半端にしているつもりはなかったから、バトルライブではその人たちよりも上のランキングを獲ってやる、って思っていました(笑)
出典:https://ananweb.jp/news/410862/
批判的な意見にも負けず前に進み続けてきたからこそ、現在のラランドの活躍があるのですね。
2020年には、YouTubeチャンネル「ララチューン」を開設。
2021年には、サーヤさんが取締役社長となった個人事務所「レモンジャム」を設立し、より認知度が高まりました。
「大阪進出」という大きな計画も発表され、「大阪でロケとかにも挑戦してみたい」と意気込みを語っていたサーヤさん。
現在では、CLR(クレア)名義で音楽活動をしたり、ドラマに出演したりと幅広く活躍しています。
芸人としてだけでなく、新しいキャリアの形を作ってきたサーヤさんは、時代に合わせた働き方を体現しているのでしょうね。
まとめ
・ラランドサーヤは子役として活躍していた。
・親の教育方針の変更のため、子役を辞めて学業に専念した。
・上智大学で相方のニシダに出会い、コンビを結成する。
・大学卒業後は会社員とお笑い芸人を兼業し、現在はレモンジャムの取締役社長を務めている。
サーヤさんは、会社員とお笑い芸人を兼ねながら、新しい分野にも活躍の場を広げていることが分かりました。
これからサーヤさんがどんなことに挑戦していくのか、期待が高まりますね。